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ダーウィンの日記1836年9月22日および23日 [ダーウィンの日記]

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テルセイラ中央部の風景


ダーウィンの日記(大西洋; アゾレス諸島、テルセイラ島)

[日記仮訳]

(1836年9月)22日[イングランド・ファルマス到着の10日前]

この日の大部分は船に留まっていた。

23日

別の日、朝早くこの島の北東にあるプラヤの町[注]を訪ねるために出発した。距離は大体15マイルである。道は途中の大部分海岸から大きく離れることはなかった。この地帯は全て耕作されていて家屋や小さな村が散在している。いくつもの場所で、牛車の長きにわたる通行により、部分部分で道の一部をなしている固くなった溶岩に12インチもの深さのわだちが擦り込まれていることに気付いた。こうした状況は古代のポンペイの舗道において驚きのもとに、現在のイタリアの町ではどこでもこういうようにはなっていないこととして注目されていた事である。ここでは車輪の輪金には異様に大きな鉄のこぶが付けられているのであり、多分古代ローマの車輪はこのようになっていたのであろう。 この地は午前中の騎乗の間は興味深いものではなかったのだが、楽しい農民が心地良く常に見えていることはその例外である。収穫は最近終了していて、家屋の近くにはトウモロコシの立派な黄色い頭端部が乾燥のために束ねられ、その大きな束はポプラの木の幹ほどもあった。こうしたのは遠くから見ると、肥沃の紋章そのものとしてのなんらかの美しい果実で垂れ下がっているように見えたものである。
[注] Praia Da Vitoria。下の地図参照。

一カ所、道が幅広い溶岩流を横切っていた。その溶岩流は固く黒い表面を持っている事からして比較的最近のものであることを示していた。実のところどの火口からそれが流れ出したかは分かったことであろう。 勤勉な住民はこの余地をブドウ畑に変えていた。この目的のためには遊離した砕片を取りのけてそれらを幾多の壁として積み上げて2~3平方ヤードの小さな地面の区画にして囲う必要があったのである。かくてこの土地は黒い線の網の目で覆われているわけである[注]
[注] 下の参考画像参照。

プラヤの町は静かで孤独な小さな場所である。だいぶ以前に大きな町が地震によって打ちのめされたのである。土地が沈下したということが云われていて、女子修道院の壁が今や波に洗われていることがひとつの証拠とされている。そうしたことはありそうではあるが、証拠としては説得的でない。

別の道で帰途に就いた。はじめは北の岸に沿うのであるが後に島の中央部を横切るのである。この北東端は特に良く耕作されていて多くの立派なコムギを産する。正方形の開けた畑や漆喰塗りの教会を持つ小さな村は高みから見るとイングランド中央部のそれほど景色の良くはない所に似た様相を持っていた。

やがて雲の領域に到達したのだが、その雲は私たちの滞在全体を通してかなり低い所に懸り山々の頂上を隠していた。2時間かけて中央部の高い所を横切ったのだが、そこは人が住んでおらずうら寂びれた外見を持っている。
雲中から町まで降りると、[船では測量上の]観測が出来たのでこの夕方には外洋に出るとの嬉しい知らせを私は聞いた。

この錨地[注]は南方の大洋のうねりにまともにさらされているので、一年の今というこの荒れた時期にはとても不快でありまた安全とは到底云えない。
[注] アングラ泊地。テルセイラ島の南部にある。

[地図] Praia Da Vitoria..

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[参考画像] 現在のテルセイラ島の道のひとつ(両側に岩の砕片が積み上げられている)..
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画像出典: http://www.panoramio.com/photo/19964162

[天候]
1836年9月23日午前10時の天候:
変わりやすい風、風力1、青空、雲、気温摂氏21.1度、水温摂氏21.1度。

[日記原文]
22nd
I staid the greater part of the day on board.1.

1 The entry for this day has been marked for deletion.

23rd
Another day I set out early in the morning to visit the town of Praya seated on the NE and of the island. — The distance is about fifteen miles; the road ran the great part of the way not far from the coast. The country is all cultivated & scattered with houses & small villages. I noticed in several places, from the long traffic of the bullock waggons, that the solid lava, which formed in parts the road, was worn into ruts of the depth of twelve inches. This circumstance has been noticed with surprise, in the ancient pavement of Pompeii, as not occurring in any of the present towns of Italy. At this place the wheels have a tire surmounted by singularly large iron knobs, perhaps the old Roman wheels were thus furnished. The country during our morning's ride, was not interesting, excepting always the pleasant sight of a happy peasantry. The harvest was lately over, & near to the houses the fine yellow heads of Indian corn, were bound, for the sake of drying, in large bundles to the stems of the poplar trees. These seen from a distance, appeared weighed down by some beautiful fruit,—the very emblem of fertility.—

One part of the road crossed a broad stream of lava, which from its rocky & black surface, showed itself to be of comparatively recent origin; indeed the crater whence it had flowed could be distinguished. The industrious inhabitants, have turned this space into vineyards, but for this purpose it was necessary to clear away the loose fragments & pile them into a multitude of walls, which enclosed little patches of ground a few yards square; thus covering the country with a network of black lines.—

The town of Praya is a quiet forlorn little place; Many years since a large city was here overwhelmed by an earthquake. It is asserted the land subsided, and a wall of a convent now bathed by the sea is shown as a proof: the fact is probable, but the proof not convincing.

I returned home by another road, which first leads along the Northern shore, & then crosses the central part of the Island.— This North Eastern extremity is particularly well cultivated, & produces a large quantity of fine wheat. The square, open fields, & small villages with white washed churches, gave to the view as seen from the heights, an aspect resembling the less picturesque parts of central England. — We soon reached the region of clouds, which during our whole visit have hung very low & concealed the tops of the mountains. For a couple of hours we crossed the elevated central part, which is not inhabited & bears a desolate appearance. When we descended from the clouds to the city, I heard the good news that observations had been obtained, & that we should go to sea the same evening.

The anchorage is exposed to the whole swell of the Southern ocean, & hence during the present boisterous time of year is very disagreeable & far from safe:—


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["ダーウィンの日記(III)"について]
ここで扱っているのはダーウィンがビーグル号で航海に出ている時期の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳します。また、ダーウィンが日記を書いた当時の世界観を出来るだけそのままにして読む事を念頭に置きますので、若干の用語の注釈を除いては、現代的観点からの注釈は控え気味にしてあります。
[日記原典] Charles Darwin's Beagle Diary ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.
1835年1月1日より前のダーウィンの日記へはページ左のリンク集が入り口となります。

冒頭画像出典: http://www.panoramio.com/photo/8487956




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コメント 7

kaoru

おはようございます。
この一年のご健康とご多幸を
お祈り申し上げます。
本年も宜しくお願い致します。
by kaoru (2010-01-01 09:49) 

cjlewis

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします!
by cjlewis (2010-01-01 12:35) 

きつね

明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しく〜。。
by きつね (2010-01-01 12:50) 

ナカムラ

明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
by ナカムラ (2010-01-01 14:42) 

umiko

明けましておめでとうございます。
素晴らしい1年になりますように
by umiko (2010-01-01 16:16) 

nyankome

新年明けましておめでとうございます。
2010年が素晴らしい年になりますようお祈りします。
今年もよろしくお願いします。
by nyankome (2010-01-01 16:36) 

Ranger

“謹賀新年”

昨年も、温かいコメントなど頂き、ありがとうございました。
この一年のご健康と、
ますますのご活躍をお祈り申し上げます

          今年もよろしくお願いしまね!^^
by Ranger (2010-01-01 17:27) 

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