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ダーウィンの日記1836年9月25日(その3) [ダーウィンの日記]


ダーウィンの日記(大西洋; 航海を振り返る(後編))

[日記仮訳]

(1836年9月)25日[その3]

さて、これまでの明るい側面を見ることにしよう。

訪れてきた色々な土地の情景や一般的様相を見ることによる楽しさは、確かに、もっとも変わることなくまた最高の楽しみの源泉であり続けた。
ヨーロッパの多くの場所の絵画的な美しさが私たちの見て来た何ものを凌ぐということはあり得ることである。だが異なった土地の情景の特徴を比較することには、単にその美を賛嘆するだけとは数段違った、増大してゆく喜びがある。そのことはさらに各々の眺望の個々の部分に通じているということによるのである。各音符を理解している人は、もし真の嗜好をも持ち合わせていれば、全体をより完全に楽しむであろうという音楽の場合と同様だと私は強く思うようになっている。そういう具合に、素晴らしい眺望の各部分を観察する人も全体のそして複合的効果を完全に理解することができるであろう。 そういうわけだから、旅行者は植物学者でなければならないことになる。というのは全ての眺望において植物が主要な装飾を形成しているからである。大量のむき出しの岩の寄り集まったものは、そのもっとも自然の形態においてさえも、しばらくは壮大な景観を提供するかもしれないが、それらはやがて単調なものとなる。それらを明るい様々の色で塗ってみたならば、それらは素晴らしいものとなる。それらを植生で覆いたまえ、するとそれらはとても美しい絵とはならなくとも、少なくともそこそこの光景を形成することであろう。

ヨーロッパの情景が私たちが見てきた何ものよりも優れているかもしれないと私が言った場合、熱帯地域のそれを、その類自体としてであるが、例外としなければならない。そのふたつは互いに比較することは出来ない。それでも私は後者の気候の壮大さをあまりにもしばしば誇張して来ている。印象の力強さというのは頻繁に先入観に依存するものであり、私は自分のそれはすべて Personal Narrative[注]における活き活きとした描写によっていて、これによる恩恵はその主題についてかつて読んだ何ものをも遥かに凌いでいるのである。 だがこれらの念入りに仕上げられた概念を持っていたとしても、ブラジルの海岸に私がはじめて上陸した時、私の感覚が失望の色合いを帯びることからは遥かに遠いものであったのである。
[注] Alexander von Humbordt の著書である Personal Narrative of Travels to the Equinotical Regions of America during the Years 1799-1804 (English translation by Helen Maria Williams from French; この英訳の第3版[1822]をダーウィンがビーグル号に持ち込んでいる; この後にThomasina Rossによる別の英訳[1851]があるがダーウィンのこの航海後の発行) のこと。

私の心に深く印象づけられている情景のうちで、人手の加わっていない原生林の荘厳を越えるものはない。それらが生命の力が支配的となっているブラジルのものであろうと、あるいは死と腐朽が卓越しているティエラ・デル・フエゴのものであろうとである。双方ともが自然の神[God of Nature]の多様な産物で満たされている神殿である。これらの地においてひとりでいると、人の内には単にその身体の息というもの以上のものがあると感じざるを得ないのであり、誰でも感動せざるを得ないのである。

過去の心象を呼び起こす時、パタゴニアの平原が最もしばしば眼前に現れて行き来することに私は気付く。だがこれらの平原はきわめてひどく不毛であると全ての人によって断言されているものなのだ。それらは負の特性によってのみ特徴づけられている - 居住地はなく、水がなく、樹木がなく、山がない。そこには単に若干の矮小な植物だけが生育出来る。それならば何故、これは私だけに特有のことではないのだが、これらの乾燥した荒野が記憶のうちにしっかりと位置を占めているのだろう? もっと平らで緑多く肥沃な、そして人類に役立つパンパがこれと同等の印象を生み出さないのだろう? 私はこれらの感覚を分析するということがほとんど出来ない。だが、それは想像力に与えられた自由な視野というものに部分的にはよっているに違いない。それは果てしなく、ほとんど通行が出来ないので、ゆえに未知である。そのようにして幾つもの時代を経て来ている印を帯びていて、さらにそれらの未来にかけての持続は際限がないように思えるのだ。もし、古代人が想像したように、平らな地平が通行不可能なほどに広い水面、あるいは耐え難いほどに熱せられた沙漠、で囲まれていたとしても、この人類の知識の最後の辺境を誰が深いがしかし何とも言いようのない感動を覚えずに見ることであろうか。

自然の情景についての最後になるが、高い山々からの眺望は、確かにある意味においては美しくはないが、とても記憶に残るものではある。最高のコルディジェラ[アンデス山脈]の峰から見下ろした時、細部に邪魔されることなく、周りを取り巻く山塊の途方もない規模のことで胸がいっぱいになったことを、私は覚えている。

個々の対象としては、真の未開人を、最下位のそしてもっとも野性的な状態の人を、その現地で最初に見た時よりも驚くべき何があるかについては誰も確かではないだろう。心は過去何世紀をも大急ぎで溯り、そして私たちの祖先もこんな風であり得たのだろうかと問う。 人ではあるが、その身振りや表情が私たちには家畜のそれよりも理解しがたく、それら動物の本能を所有せず、さらには人間の理知あるいは少なくともその理性による技量を持つとは見えない。私には、野生人と文明人との差異を叙述ないしは描く事が可能だとは思えない。野生と馴らされた動物の違いである。そしてまた野生人を見る事における関心の一部は、誰もが荒れ地におけるライオンを、密林で餌動物を引き裂くトラを、広い平原上のサイを、あるいはアフリカのどこかの河の泥の中に浸かるカバを見たいと思わせるだろうものと同じである。

他に私が見た最も注目に値する光景を並べてみる事も出来よう - 南半球の星々、竜巻[water-spout] - 氷河がその蒼い氷の流れの先端を険しい断崖にして海面に突き出している様 - サンゴを形成する微小動物によって形づくられた礁湖島 - 活火山 - 激しい地震がもたらした圧倒的な事柄 -
多分この一番後の現象が、世界の地質学的構造と密に連結しているわけだから、私がより高い関心を持った事柄である。 しかし誰にとっても地震は最も印象深い出来事だったに違いない。固い地面が、最も幼い子供の頃から堅実さの典型そのものと考えられていたものが、足の下で薄い外皮のように振動したのである。そして人のなした最も美しく凝った業(わざ)が瞬時のうちに打ち倒されるのを見れば、私たちは人の誇る力というものの取るに足らなさを感ずる次第なのである。

狩猟の楽しみというものは、本能的情熱の名残であり、人の固有の喜びであると云われてきている。そうであるとして、天空を屋根とし地面を卓とする屋外での生活はその同じ感覚の一部であることは私には確かだと思われる。それは未開で本来の習慣への野性的な回帰である。私たちのボートでの巡航や、自分の陸地の旅において人の稀にしか訪ねない土地を通った時のことを、私は一種極度の喜びを持っていつも振り返るのであり、それは文明のどんな情景も生み出す事のない喜びなのである。 どの旅行者もが、文明人が稀にしかまたは全く歩んだことのない慣れぬ土地[clime]において呼吸していることを単に意識することで湧き上がってくるよろこびというものを憶えているであろう事を私は疑わないものである。

長い航海の間には、他に、多分もっと納得のいきやすい、いくつもの喜びの源泉がある。世界地図は空白地を持つ事をやめる。それは最も多様で生気のある図で満ちる。各部分がその真の規模を示す。大きな大陸は島々に照らしては見られず、島々は、真実としてはヨーロッパの多くの王国よりも大きいのであるが、単なる斑点としては考えられない。アフリカ、あるいは北および南アメリカ、は響きの良い名前を持ち分かりやすい。だが、何週間かその海岸の小部分にでも沿って帆走してみるまでは、それは全くの廃墟である。

現状を見るにつけても、ほぼ全半球の将来を、より高い期待を持って見ないわけにはいかない。南海へのキリスト教の導入の結果としての改善の進行は、多分それ自身破られない世界の記録であろう。わずか60年前、クックは、その最も優れた判断力については誰も疑問視しない所であるが、このような変化の見込みを予見する事が出来なかったのである。しかも今やこれらの変化は英国民の博愛主義的精神によって実現されて来ているのである。

地球のその一画にオーストラリアが文明の壮大な中心地に興隆しつつあり、いや実際には興隆したと云う事が出来るのかもしれないが、それほど遠くない時期には南半球の女王として君臨することであろう。英国人としては、これら遠くの植民地を高い誇りと満足を持たずにみるということは出来ないのである。英国の旗を掲げるということが、富、繁栄そして文明を結果として引き寄せているように見えるのである。


結論として、若い博物学者を磨くことにおいて遠い土地への旅行よりもまさるものはないように思われる。それは、J.ハーシェル卿が云うように、人の経験する欲望や切望を鋭くもしまた部分的には和らげるのであり、他方で全ての身体的感覚は十分に満足させられるものだ。対象の新奇さによる興奮と成功の機会は活動へと促す。さらに数多くの個々の事実はやがて興味を惹かなくなるにつれて、比較の習慣が一般化へと導く。他方、旅行者がわずかの時間だけ各々の場所に留まると、その叙述は一般に細部にわたる観察ではなく単なるスケッチとならざるをえない。そうすると、私自身の代償によって分かったわけだが、知識の広い間隙を不正確で表面的な仮説によって埋めるという定常的な傾向が出て来ることになる。

だが、私はこの航海をすこぶる楽しんだのであるから、どの博物学者に対しても、あらゆる機会をとらえて可能なら陸路、さもなくば長い航海に出発するように勧めないわけにはいかない。彼は前もって想像するほど深刻などのような困難にもあるいは危険にも(稀な場合を除いて)出会う事はないと安心していられるであろう。
道徳的な観点においては、その効果としては、彼に陽気な忍耐、無私、自分自身で行動したり全てを最大限に活用する習慣、さらには満足といった、手短に言えば水兵の多くの者の特徴的属性というものを帯びることになる。旅行によって他人を信用しないようにも教えられるはずだが、ところが同時に、彼はいかに多くの優しい人々がいるのかという事をも見出すであろう。その人とは彼はそれ以前に交流をもったことがなく、そしてまた再び交流を行う事もないとしても、その人は彼に対して最も無欲の助力を提供する事を惜しまないのである。


[日記原文] [September 25th; the thrid part]
Let us now look at the brighter side of the past time. The pleasure derived from beholding the scenery and general aspect of the various countries we have visited, has decidedly been the most constant and highest source of enjoyment.

It is probable that the picturesque beauty of many parts of Europe far exceeds anything we have beheld. But there is a growing pleasure in comparing the character of scenery in different countries, which to a certain degree is distinct from merely admiring their beauty. It more depends on an acquaintance with the individual parts of each view: I am strongly induced to believe that as in Music, the person who understands every note will, if he also has true taste, more thoroughily enjoy the whole; so he who examines each part of [a] fine view may also thoroughily comprehend the full and combined effect.
Hence a traveller should be a botanist, for in all views plants form the chief embellishment. Group masses of naked rocks, even in the wildest forms; for a time they may afford a sublime spectacle, but they will soon grow monotomous; paint them with bright and varied colours, they will become fantastick[sic]; clothe them with vegetation, they must form, at least a decent, if not a most beautiful picture.

When I said that the scenery of Europe was probably superior to anything which we have beheld, I must except, as a class by itself, that of the intertropical regions. The two can not be compared together; but I have already too often enlarged on the grandeur of these latter climates. As the force of impression frequently depends on preconceived ideas, I may add that all mine were taken from the vivid descriptions in the Personal Narrative4 which far exceed in merit anything I have ever read on the subject. Yet with these high wrought ideas, my feelings were very remote from partaking of a tinge of disappointment on first landing on the coast of Brazil.
Among the scenes which are deeply impressed on my mind, none exceed in sublimity the primeval forests, undefaced by the hand of man, whether those of Brazil, where the powers of life are predominant, or those of Tierra del Fuego, where death & decay prevail. Both are temples filled with the varied productions of the God of Nature: — No one can stand unmoved in these solitudes, without feeling that there is more in man than the mere breath of his body. —

In calling up images of the past, I find the plains of Patagonia most frequently cross before my eyes. Yet these plains are pronounced by all most wretched & useless. They are only characterized by negative possessions; — without habitations, without water, without trees, without mountains, they support merely a few dwarf plants. Why then, and the case is not peculiar to myself, do these arid wastes take so firm possession of the memory? Why have not the still more level, greener & fertile Pampas, which are serviceable to mankind, produced an equal impression? I can scarcely analyse these feelings. —
But it must be partly owing to the free scope given to the imagination. They are boundless, for they are scarcely practicable & hence unknown: they bear the stamp of having thus lasted for ages, & there appears no limit to their duration through future time. If, as the ancients supposed, the flat earth was surrounded by an impassable breadth of water, or by deserts heated to an intolerable excess, who would not look at these last boundaries to man's knowledge with deep, but ill defined sensations. —
Lastly of natural scenery, the views from lofty mountains, though certainly in one sense not beautiful, are very memorable. I remember looking down from the crest of the highest Cordillera; the mind, undisturbed by minute details, was filled by the stupendous dimensions of the surrounding masses. —

Of individual objects, perhaps no one is more sure to create astonishment, than the first sight, in his native haunt, of a real barbarian, — of man in his lowest and most savage state. One's mind hurries back over past centuries, & then asks could our progenitors be such as these? Men, — whose very signs & expressions are less intelligible to us than those of the domesticated animals; who do not possess the instinct of those animals, nor yet appear to boast of human reason, or at least of arts consequent on that reason. I do not believe it is possible to describe or paint the difference of savage and civilized man. It is the difference between a wild and tame animal: and part of the interest in beholding a savage is the same which would lead every one to desire to see the lion in his desert, the tiger tearing his prey in the jungle, the rhinoceros on the wide plain, or the hippopotamus wallowing in the mud of some African river. —
Amongst the other most remarkable spectacles, which we have beheld, may be ranked, — the stars of the Southern hemisphere, the water-spout — the glacier leading its blue stream of ice in a bold precipice overhanging the sea — a lagoon island, raised by the coral forming animalcule — an active volcano — the overwhelming effects of a violent earthquake. —
These latter phenomena perhaps possess for me a higher interest, from their intimate connection with the geological structure of the world. The earthquake must however be to everyone a most impressive event; the solid earth, considered from our earliest childhood as the very type of solidity, has oscillated like a thin crust beneath our feet; and in seeing the most beautiful and laboured works of man in a moment overthrown, we feel the insignificance of his boasted power. —

It has been said that the love of the chace[sic] is an inherent delight in man, — a relic of an instinctive passion. — if so, I am sure the pleasure of living in the open air, with the sky for a roof, and the ground for a table, is part of the same feeling. It is the savage returning to his wild and native habits. I always look back to our boat cruizes & my land journeys, when through unfrequented countries, with a kind of extreme delight, which no scenes of civilization could create. — I do not doubt every traveller must remember the glowing sense of happiness, from the simple consciousness of breathing in a foreign clime, where the civilized man has seldom or never trod.

There are several other sources of enjoyment in a long voyage, which are perhaps of a more reasonable nature. The map of the world ceases to be a blank; it becomes a picture full of the most varied and animated figures. Each part assumes its true dimensions: large continents are not looked at in the light of islands, or islands considered as mere specks, which in truth are larger than many kingdoms of Europe. — Africa, or North & South America, are well-sounding names and easily pronounced, but it is not till having sailed for some weeks along small portions of their coasts, that one is thorough ash;


From seeing the present state, it is impossible not to look forward with high expectation to the future progress of nearly an entire hemisphere. The march of improvement, consequent on the introduction of Christianity through the South Sea, probably stands by itself on the records of the world. It is the more striking when we remember that but sixty years since, Cook, whose most excellent judgment none will dispute, could foresee no prospect of such change. Yet these changes have now been effected by the philanthropic spirit of the English nation.
In the same quarter of the globe Australia is rising, or indeed may be said to have risen, into a grand centre of civilization, which, at some not very remote period, will rule the empress of the Southern hemisphere. It is impossible for an Englishman to behold these distant colonies, without a high pride and satisfaction. To hoist the British flag seems to draw as a certain consequence wealth, prosperity and civilization. —

In conclusion, — it appears to me that nothing can be more improving to a young naturalist, than a journey in distant countries. It both sharpens and partly also allays that want and craving, which as Sir J. Herschel remarks, (Note in margin: Discourse on the Study of Natural Philosophy, p. 3.), a man experiences, although every corporeal sense is fully satisfied. The excitement from the novelty of objects, and the chance of success stimulates him on to activity. Moreover as a number of isolated facts soon become uninteresting, the habit of comparison leads to generalization; on the other hand, as the traveller stays but a short space of time in each place, his description must generally consist of mere sketches instead of detailed observation. Hence arises, as I have found to my cost, a constant tendency to fill up the wide gaps of knowledge by inaccurate & superficial hypotheses.

But I have too deeply enjoyed the voyage not to recommend to any naturalist to take all chances, and to start on travels by land if possible, if otherwise on a long voyage. He may feel assured he will meet with no difficulties or dangers (excepting in rare cases) nearly so bad as he before hand imagined. —
In a moral point of view, the effect ought to be, to teach him good humoured patience, unselfishness, the habit of acting for himself, and of making the best of everything, or contentment: in short, he should partake of the characteristic qualities of the greater number of sailors. — Travelling ought also to teach him to distrust others; but at the same time he will discover how many truly goodnatured people there are, with whom he never before had, nor ever again will have any further communication, yet who are ready to offer him the most disinterested assistance.

3 Followed by deleted sentence: 'In our five years the excess of days, during the whole of which the anchor has been down, over the remainder, has scarcely equalled fifty.'
4 By Alexander von Humboldt. See note 2 for entry of 16 January 1831, p. 24.




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["ダーウィンの日記(III)"について]
ここで扱っているのはダーウィンがビーグル号で航海に出ている時期の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳します。また、ダーウィンが日記を書いた当時の世界観を出来るだけそのままにして読む事を念頭に置きますので、若干の用語の注釈を除いては、現代的観点からの注釈は控え気味にしてあります。
[日記原典] Charles Darwin's Beagle Diary ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.
1835年1月1日より前のダーウィンの日記へはページ左のリンク集が入り口となります。



このブログは次回更新をもって完了となります。
  
  
  
  
 




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コメント 5

春分

> 結論として、若い博物学者を磨くことにおいて遠い土地への旅行よりも
> まさるものはないように思われる。
なるほど、この25日の記述を読むだけでもそれがわかる気がします。
さて、次回がゴールでしょうか。
by 春分 (2010-01-09 17:42) 

さとふみ

春分さん..
次回でこのブログは完了です。拙いブログにおつきあいいただき、ありがとうございました。
by さとふみ (2010-01-09 17:47) 

SAKANAKANE

ダーウィンの説得力に満ちた叙述が、胸に響きます。
by SAKANAKANE (2010-01-11 18:21) 

さとふみ

ダーウィンのビーグル号関連の事柄についてはさらに彼の手紙を主としていくつか読んで行きますので、別ブログになりますが、よろしければおつきあいください。
by さとふみ (2010-01-11 18:23) 

アヨアン・イゴカー

>私には、野生人と文明人との差異を叙述ないしは描く事が可能だとは思えない。野生と馴らされた動物の違いである。

実に科学的、客観的な判断だと思います。
by アヨアン・イゴカー (2010-01-20 01:04) 

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