SSブログ

ダーウィンの日記1835年1月5日と6日 [ダーウィンの日記]

lemu.jpg

ダーウィンの日記(チョノス群島)

[日記仮訳]

(1835年1月)5日

気圧計は快晴を予報している。現在、逆風かつ大雨だが外洋に出ている。

6日[この日近づいた島については下の地図2参照]

艦長のその確信は晴天と南寄りの風によって報われている。

午後、船足を止め、艦長はいくつかの入り江を踏査するために彼のボートに乗り込んだ。 私たちは死んだクジラの所を通り過ぎた。これはそれほど腐敗してはおらず、フジツボや大きな寄生のカニが生きていた。この肉と脂肪の巨大なかたまりの皮膚はまったくピンクであった。部分的な腐敗によるものだと思われる。[余白に注記:外の薄い皮がはがれていた] トレス・モンテス半島のひとつの入り江にも岸に打ち上がった同じ色の別のを見たことがあった。 クジラを見ると私は大きな化石動物を思い起こす。彼[原文 "he"]は現在の小人化した生息者にとってはまったく大きすぎるように見える。その同等者であるライアス統の大きな爬虫類[注]と共存すべきだったのだ。
[注] ジュラ紀の恐竜のことを意味しているのだろうと思われます。

私たちが出かけていた間に、フランスの捕鯨船が1隻接近して、その船長がなんと私たちの船上に乗ってきた。彼の船は最近他の2隻の大きな船がいる時にも停泊していた。そのうちの1隻は、フォークランドで難破した我らが古き友人ル・ディリ[注]が指揮していた船であった。 そんな具合にフランス政府は水夫を養成する費用のかさむ教習に倦む事がないというわけだ。
[注] 1833年はじめにフォークランドで難破したフランスの捕鯨船の船長で、その時期の日記ではその事に触れています。

[地図1] 1月5日までの位置の概要..

View Larger Map

[天候]1835年1月5日正午の天候:
北北西の風、風力4、全天曇り、暗い、継続的雨、気温摂氏12.8度、水温摂氏11.9度。

6日正午の天候:
南微西の風、風力4、青空、雲、気温摂氏12.8度、水温摂氏11.7。

[地図2] レム(Lemu)島 (6日にビーグル号が接近した島)..

View Larger Map


[日記原文]
5th
The Barometer says we shall have fine weather; & although we have at present a foul wind & plenty of rain, we stand out to sea. —

6th
The Captains faith is rewarded by a beautiful day & Southerly wind. — After noon, the ship was hove to, & the Captain ran in his boat to reconnoitre some harbors. We passed a dead whale; it was not very putrid; the barnacles & great parasitical crabs being alive; the skin of this great mass of flesh & blubber was quite pink; I suppose owing to partial decomposition. [Note in margin: Outer thin skin having been removed.] In one of the harbors in P. Tres Montes, we found another cast up on the beach & of the same color. — A sight of a Whale always puts me in mind of the great fossil animals; he appears altogether too big for the present pigmy race of inhabitants. He ought to have coexisted with his equals, the great reptiles of the Lias epoch. —
During our absence, a French Whaler bore down on the Beagle & here we found her Captain on board. — He had lately been at anchor when two other great ships; one of which was commanded by our old friend Le Dilly, who was wrecked in the Falklands. — So that the French government are not tired of their expensive school to make Sailors. —

cdarwin_s.jpg

["ダーウィンの日記(III)"について]
ここで扱っているのはダーウィンがビーグル号で航海に出ている時期の日記です。訳文は私的な研究目的に供するだけの仮のものです。普通は全文を訳します。また、ダーウィンが日記を書いた当時の世界観を出来るだけそのままにして読む事を念頭に置きますので、若干の用語の注釈を除いては、現代的観点からの注釈は控え気味にしてあります。
[日記原典] Charles Darwin's Beagle Diary ed. by R.D.Keynes, Cambridge U.P., 1988.
1835年1月1日より前のダーウィンの日記へはページ左のリンク集が入り口となります。

nice!(15)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 15

コメント 2

アマデウス

クジラとジュラ紀の恐竜に言及している点博物学者らしいですね。
どうしてジュラ紀の前期リアスという時代区分に言及したのか何故白亜紀
の恐竜との共存としなかったのか質問してみたいですね。
by アマデウス (2009-04-10 06:18) 

さとふみ

ダーウィンの時期は今から170年も昔のことなので、現在的知識と、当時のそれとの大きな違いを念頭に置かないといけないと思います。
ダーウィンの当時、まだ恐竜の化石標本は稀で、あったのはイングランドで見つかっていたメガロザウルスのものなどのほんの数点だったということをふまえねばならず、現在のように標本が沢山あって、三畳紀、ジュラ紀、白亜紀にそれぞれ割当られるほどではなかったわけです。
現在はダーウィンの業績の上に立った多くの知見がすでに蓄積されているわけですが、ダーウィン自身はそのような知識を前提としていないわけなので、現代人の立場でダーウィンの知識を判断しようとするのは私自身は避けたいという立場です。比喩的に言えば、樹の先端にいながらその根元を切ろうとしたら自分自身が危うくなるというような..
by さとふみ (2009-04-10 18:38) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。